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サンロクトオから44年、そしてスーパー特急。

今日10/1は北道で最初の別急行列車が走り始めた日です。
尤も1930年の燕号運転開始、64年の東幹線開業と急列車に関しては何かと節目の日でもありますが、私としては故郷北の大地での出来事の方が印象深いのです。
因みに「北道の幹線」と評された81年開業の石勝線も今日で24周年(半端だな〜)です。

おおぞら号は今年で44歳、97年春の改正で283系気動車が運行されるようになってからは183系との区別のため当該列車に「スーパー」を冠していますが、全列車統一されて久しい現在においては伝統ある元の愛称に戻しても良いような気がします。

ところで「スーパー急」と云う表現、登場当初は何かと物議を醸し出したものですが、それも昔の話になりつつあるようです。現在では車輌5pu0新で従来型(に国鉄から引継いだ車齢の高いもの)と近年の型車輌では性能の差もあって同一区間の到達時間に差が生じる事も影響しているのか、急列車を運行している各社各路線で型車導入を機に積極的に命名されているように感じます。マニア魂としては認めたくない表現ですが、利用客にしてみれば速そうなイメージとマッチして評判が良いのかも知れません。

道内では91年に2階建車輌を連結した「スーパーとかち」が最初になりますが、今のような型車による速達性を強調したものではなく、従来車輌の改造で内装設備のグレードアップを売りに、前年「とかち」に改称した帯広止まりの区間便を差別化し、中距離、長距離利用客を振分ける戦略だったようです。

速達性では94年に281系気動車を導入した「スーパー北斗」が最初となります。当時の最速列車は函館〜札幌間(室蘭本線経由)の所要3時間を切るものでした。宣伝文句として聞こえは良いのですが、実態は途中東室蘭と南千歳しか停車しない、些か強引な設定でした。当時道内(に苫小牧?)では92年に起きた東幹線のぞみ301号の所謂「名古屋飛ばし」並みの批判を受け、後の改正で停車駅の見直しが行われました。

JR全社としては88年に北陸本線の幹線連絡急「かがやき」と「きらめき」に初めてスーパー急の表現が使われました。但し使用車輌は485系電車で金沢支社発行のリーフレットやヘッドマークの片隅へ控えめに表示されていた程度で、時刻表や急券には表示されませんでした。速達性を優先した設定ですが長岡接続の「かがやき」は急行列車統合前の北陸急並みに留まったのに対し、原接続の「きらめき」は原〜金沢間の途中福井のみ停車で敦賀や温泉街の芦原温泉(金津)、加賀温泉(大聖寺、動橋)を飛ばす、当時は斬な印象がありました。

翌89年春の改正から登場した、改造グリーン車が話題を呼んだ「スーパー雷鳥」、JR最初の?造車輌「スーパーひたち」は共に有名ですし、これらがスーパー急の元祖だと思っている方が多いかも知れません。実際に時刻表や急券への表示、130km運転としては最初ですし「スーパー急=急より速い」を印象付けた元祖ですが、「スーパーを冠する」意味では最初ではありません。

そしてスーパー雷鳥は造車へ5pu0新の際、従来車とどのように区別するのかとしみにしたものですが、「スーパー雷鳥サンダーバード」と期待を裏切りませんでした(笑)。朝日放送系列の撮戦隊シリーズにありそうな愛称に大阪駅の発車時刻には当然あのメロディーを期待した方も多かった事でしょう。

今が恐らく全盛の「スーパー急」シリーズも旧国鉄車輌からの5pu0新時期が過ぎれば次第に消え、L急や急のように昔話になるのでしょう。ただ小田急ロマンスカーの愛称にも採用されたり、L急全盛期当時のスーパーカーブームを知る世代には違った印象を残すのかも知れません(かなり強引な締めでした)。

そう思ってた


あれから一年

お水あげずに
そのままにしていた




ミスパリ ダイエットセンター ぬわぁ

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